俵屋について

来者如帰

「わが家に帰ってこられたように、おくつろぎ頂けますように」
重野成齋(1827~1910)が揮毫したこの書は、今も変わらず玄関に掲げられ、創業以来この心を大切にしております。

由来と歴史

幕末の文政元年(1818)、福井から青雲の志を抱き京に上った初代庄五郎がこの地に居を構え、運送業、海産物商を始めたのが俵屋のはじまりです。その名の由来は下鴨神社の境内にある比良木神社。
邪気を祓う柊の木が自生するこの神社に、先祖は深く帰依しそれになぞらえ屋号を「俵屋」といたしました。

その後二代目庄五郎(定次郎)は、俵屋政貫と号するまでに鍔目貫の技に長じ、そのため請われるままに提供していた宿を文久元年(1861)に本業といたしました。幕末の志士、明治時代からの貴族や皇族、文人墨客の方々をはじめ、国際観光の進展に伴い海外のお客様もお迎えし、二百年余り伝統を大切に、京の宿として今日に至っております。

川端康成氏 寄稿文

 京都ではいつも俵屋に泊まって
あの柊の葉の模様の夜具にもなじみがある。京に着いた夜、染分けのやはらかい柊模様の掛蒲団に女中さんが白い清潔なおほいをかけるのを見ていると、なじみの宿に安心する。遠い旅の帰りに京へ立寄った時はなほさらである。柊の模様は夜具やゆかたばかりではなく、座蒲団、湯呑や飯茶碗などの瀬戸物にも、みだれ箱や屑入れなどにも、ついているのだが、その柊は目立たない。
 この目立たないことゝ変わらないことは、古い都の俵屋のいいところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった。京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ち着かせたものだが、それも変わりつつある。俵屋の万事控目が珍しく思へるほどだ。
 京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、俵屋に座って雨を見たり聞いたりしていると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども俵屋の清潔な槇の木目の湯船をよくなつかしがる。私は旅が好きだし、宿屋で書物をする慣はしだが、俵屋ほど思い出の多い宿はない。
 京の名所や古美術なども、この宿を根にして見歩いた。浦上玉堂の「凍雲篩雪図」を入手したのも、この宿でめぐりあってだ。政治家や財界人ばかりではなく、画家や学者や文学者にも、昔から親しまれた宿として、俵屋は古都の一つの象徴であろう。私は京阪のほかの宿で泊まった後でも俵屋へ落ちつきにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも俵屋に寄って休む。玄関に入ると「来者如帰」の額が目につくが、私にはさうである。

プラン

宿泊ワーケーション・お食事のみ・貸し切り・貸し空間など、用途に応じてご利用いただけます。
また期間限定プランなどもご用意しております。

  1. Home
  2. 俵屋について